鎌倉新フルート合奏団:合奏団便りから

  アイネクライネナハトムジーク〜その魅力と謎〜(1)

アイネクライネナハトムジーク
〜その魅力と謎〜(1)

                       渡辺光(指揮)

 モーツァルトの作品中、もっともポピュラーな曲のひとつにあげられるこの「アイネクライネナハトムジーク」、クラシック音楽に興味のない人もこの冒頭のメロディーを知らぬ人はないであろう。「小夜曲」とか「弦楽セレナード」の名で親しまれたこの名曲が、モーツァルトとの最初の出会いという人もきっと多いのではと思う。CDもこの曲がカップリングされているものは国内盤だけでも50種類以上数えることができる。(ちなみにベートーヴェンの「第九」は110種類、「運命」は80種類あった ー いずれも国内盤)このことからもこの曲の人気の高さは絶大なものであるといえる。

 この曲は、1787年八月10日の日付をもっている。モーツァルト31歳の時の作品である。この歳はオペラの大作「ドン・ジョバンニ」が作曲、初演された年に当たり、このセレナードはちょうどオペラの仕事の合間に書かれたことになる。この時期の作風は「脂の乗り切った」巨匠的な響きを有し、この曲も明解簡潔な構造を持ちながらも円熟した響きを聴くことができる。

 さてこの「アイネクライネナハトムジーク」にはいろいろと謎の部分が多いのである。今回はその謎に迫って見たいと思う。

謎その(1)

 この曲が誰のため、何のために作曲されたのかわからない。

 セレナード、ディベルティメントは娯楽的な作品、つまりさまざまな祝典や楽しみのために演奏された多楽章の作品のことで、モーツァルトはこのジャンルの作品の多くをザルツブルグ時代(〜1781)に書いている。そして、彼がこの類の曲を書くにあたっては、特定の人物からの依頼によるものが多かった。ウィーン時代(1781〜)の彼のこのセレナードの類の作曲は1782年に書かれたものと「アイネクライネナハトムジーク」の2曲だけである。1782年のものは「ナハトムジーク」と称され、モーツァルトのセレナードの中で唯一短調で書かれた奇異な曲である。しかし、これも特定の依頼を受けての作曲であることが知られている。ということで、この曲が誰のため、また何のために作曲されたのかが今もって謎である。また初演された記録も無い。

 「アイネクライネナハトムジーク」が初めて出版されたのは1827年、ベートーヴェンが無くなった頃、ドイツの安堵れという出版者からであった。モーツァルトの死後36年も経ってからやっと世に出たことになる。

 この曲が世に広まっていったのは、更にその後「旧モーツァルト全集」が刊行された後、つまり19世紀末からのことであった。

(続く)

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