鎌倉新フルート合奏団:合奏団便りから

  アイネクライネナハトムジーク〜その魅力と謎〜(2)

アイネクライネナハトムジーク
〜その魅力と謎〜(2)

                       渡辺光(指揮)

謎その(2)

 この曲は現在知られている4楽章ではなく本来は5楽章だった。現在の1楽章と2楽章の間にメヌエットがあったのだが、どうやら出版するまでに失われてしまったらしい。

 モーツァルトは自分が作曲した作品を「全自作品目録」というノートを作って作曲した日付、タイトル、楽器編成等その他詳細を丹念に記録しているのである。その「全自作品目録」の中の「アイネクライネナハトムジーク」の記述を見てみよう。「1787年8月10日。アイネクライネナハトムジーク、アレグロ、メヌエットとトリオーロマンス。メヌエットとトリオ、およびフィナーレから成る。ヴァイオリン2、ヴィィオラ、およびバッシ(バスの複数)」そして第1楽章冒頭2小節が書かれている。このことから「アイネクライネナハトムジーク」という題名はモーツァルト本人が付けたことがわかる。

 さて、いつどこでこのメヌエットが失われたのだろう。

 まず、自筆譜の行方なのだが、モーツァルトの死後、妻のコンスタンツェが管理していたが、1800年NIHOかの300曲ほどの自筆譜ともども出版者アンドレに売却している。このアンドレは1824年に亡くなり、そして「アイネクライネナハトムジーク」の自筆譜は彼の没後、いつの間にか消息不明になってしまった。1877年から刊行されはじめた「旧モーツァルト全集」ではこの「アイネクライネナハトムジーク」は自筆譜を参照できないまま、あんどれによる初版譜のみによって編集されたことになる。なおこの自筆譜は1943年に発見されている。

 アンドレが1827年にこの曲を出版した際、最初のメヌエトは入っていない。この時すでに失われてしまっていた。この最初のメヌエットはモーツァルトの生前に消失してしまったらしのである。

 現代の我々にとってこの「アイネクライネナハトムジーク」の完全な形での演奏を聴くことはできない訳だが、研究、復元して演奏した録音もあり興味深い。

 イギリスのクリストファー・ホグウットという指揮者でありチェンバロ奏者、研究家が、この「アイネクライネナハトムジーク」の作曲された周辺を丹念に調べ、モーツァルトの作曲の生徒との練習帳からこの時期(1875〜76)のメヌエットとトリオを代用した。これはあくまでも代用に過ぎないので復元という表現は適切でないかもしてない。しかし、本来の5楽章という曲全体の雰囲気を感じることはできる。

 いずれにせよ、どこへ行ってしまったのだろうか、謎のままである。


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