鎌倉新フルート合奏団:合奏団便りから
  忘れられないシーン

忘れられないシーン

                      栗林 道夫(Alto Flute)

   映画タイタニックが一時話題になってから久しい。確かにこの映画には話題を独占しただけの空前のスケール、迫力、さらにロマンがあったが、いつしか記憶の外に追いやられてしまった。しかしこの映画には、日が経っても、いつまでも記憶に残るシーンがある。
   映画の後半に、1等船客の婦女子から順に救命ボートに移すシーンがある。乗客の不安と混乱を避けるために甲板に楽団員が配置され、ウインナワルツが演奏された。甲板上は次第に混乱の度が高まり、2等船客なども雪崩をうって我先にボートに駆け寄ろうとする。彼らは楽団員には目をくれず、中にはこれを一瞥して、「1等は死ぬときも音楽付きか」とつぶやく。
   そのうち甲板上はもとより、船全体がパニック状態になり、泣き叫ぶ者、大声で家族の名を呼ぶ者、喧嘩する者などでごったがえす。この混乱状態と、船が沈むシーンは確かに圧巻だ。
   「もうやめよう。誰も聞いちゃいない」
楽団員の一人が言うと、メンバーは楽器を持ったままその場を去ろうとする。
   「でも、こうして弾いていれば気がまぎれる」
一人のヴァイオリン奏者がつぶやきながら弾き続けると、誰からともなく戻ってきて再びメンバーは演奏を続けた。無言のうちに全員が死を覚悟しているのである。そして     「君たちと一緒に音楽することができて光栄だった」
と言いながら、互いに握手を交わしてこの世の別れを惜しんだ。
   そして一人になった例のヴァイオリン奏者が、賛美歌「主よみもとに近づかん」を弾く。これを聞きつけて、その場を離れかけたメンバーが一人づつ戻ってきて、万感の思いを込めてヴァイオリンに合わせたハーモニーを奏でる。
   阿鼻叫喚の坩堝と化した周囲をよそに、人に聞かせるためでなく、ひたむきに音楽に向かう彼らの表情を映画は撮していた。最初は脇役であった筈の楽団員が、いつのまにか、このシーンでは主人公になっている。

   私たちアマチュアは人に聞かせるために音楽するのであろうか。そのような場があれば、確かに練習の励みにはなる。しかし人に聞かせる以上はプロに準じた技量もなければならないし、いたずらにそれを人前で誇示しようとすることは傲慢につながる。それでも私たちを音楽することに駆り立てるのは、人に聞かせるためではなく、音楽そのものが、練習する私たちを奮い立たせ、私たちの心を慰めてくれるからではないだろうか。
   「練習こそが本番」
渡辺先生に言われ続けた言葉の持つヒントを、このシーンは示しているような気がする。

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