鎌倉新フルート合奏団:合奏団便りから
  H氏の事件簿

H氏の事件簿

                      平野義行(Bass Flute)

●1997年8月31日:
 H氏、練習を見学に行き、「アイネクライネ・・」の練習を見て、「やはり来るべきではなかった」と後悔する。
そして「入って一緒にやりませんか」と言われ恐れていたことが現実となる。
W辺先生に「吹けるところだけ吹けば良いんですよ」と言われ、「熱き涙」を流す。
   以後この言葉がH氏の心の支えとなる。
●1997年9月:
 「ブルートレイン」出発後、15秒で振り落とされ姿を見失う。ここからH氏の苦難の道が始まる。
●1997年9月:
 IH川先生にほめられたと思って喜こぶも、5秒後にそうではなかったことに気付く。
●1997年9月:
  若きS治嬢の初々(ういうい)しい指揮にH氏、胸をときめかせる。
この時がH氏のいっときのオアシスとなる。
●1997年10月〜12月:
 美女軍団が次々に入団し、さらに胸をときめかせる。
●1997年11月:
 玉縄公民館フェスティバルで、観客が3〜4人と聞いていたのに25人も入り、楽器を持つ手がふるえる。アンコールが終わっても観客が立ち上がらないのでうろうろする。
●1997年11月:
 「シャコンヌ」(バッハ)を演奏して「何じゃこりゃ」と思う。そして『「シャコンヌ」は釈(シャク)然と来(コ)ンぬ』と悩む。
●1997年12月6日:
 コンセール・ルミエールで「シャコンヌ」(バッハ)を聞き、これが偉大な作品であったことに気付く。 そして、W辺先生の編曲技術に驚嘆する。
●1998年5月:
 初出演の第8回定演のために、16人を無料招待し、黒スーツ上下、蝶ネクタイ、譜面台(黒)、ビデオカメラ用三脚を買い、H家は耐乏生活に入る。
●1998年5月:
 第8回定演で「シャコンヌ」を演奏して感激し、「生きていて良かった」と思う。そのあと、「ブルートレイン」で一拍早く飛び出し、死にたくなる。
●1998年6月:
 定演打ち上げ(飲み会)の時、K林氏に暗いところに呼ばれ、やはりリストラか、と覚悟を決める。そして「次期役員になってくれ」と言われ仰天する。
●1998年6月:
 初出席の総会が大噴火、H氏、オロオロする。
 そして、IH川先生をはじめ合奏団の10年選手がなぜか茶巾寿司のファンであることがわかる。
●1998年7月:
 H氏;K林氏、N尾氏と「コンセール・ダメール」を結成する。
 IH川先生に加わっていただき、リリスの練場室で4人で3時間にわたる特別練習。H氏、IH川先生の指導にプロのすごさを感じ、音楽を作って行く素晴らしさを体験、再び「生きていて良かった」と思う。この時、「おお・スザンナ」を「おお・ズサンナ」というIH川先生のギャグがうける。
●1998年8月9日:
 「コンセール・ダメール」、団内演奏会で第一回目の出演を果たし、「宵待草」ほかを演奏する。しかし、N尾氏の突然の退団で、二回目以後はダメになール。
●1998年10月:
 「夜想曲(真夏の夜の夢)」の29小節の全休止符で、2ケタの数を数えるのが微分・積分より難しい事に気付く。
●1998年11月3日:
 鎌倉市合奏祭の、「ビートルズ・カプセル」でH氏が属する2ndフルートが原因で1小節音無しとなり、H氏夫人が撮ったビデオが闇から闇に葬られる。
●1999年5月29日:
 第9回定演の「ホルベア…」で、繰り返しを間違え、4小節独走する。しかし、H氏は同じパートのKSさんにしか気付かれなかったと確信している。
●1999年6月〜:
 H氏がバスフルートに転向したため、Y崎氏の平穏な生活に暗雲が立ちこめる。
●1999年8月9日:
 姜建華さんの二胡の低音で「シルクロード」のテーマが練習場に鳴り響いたとき、震えが脊髄を通って大脳に伝わり、H氏のすべての思考が停止する。
●1999年9月:
 AMDA記念演奏会の2500円の入場券を52枚も売りまくり、エンジニアよりも営業マンになるべきだったと悔やむ。
●1999年10月:
 T橋氏の結婚披露宴での演奏の時、廊下できれいなドレスを着たきれいな女性に控え室の場所を教えられ、後で、その女性がお色直しから戻る途中のT橋氏の花嫁さんだったとわかり、目を見張る。
●1999年12月12日:
 藤沢北教会の会堂新築記念コンサートにおいて、普段まったくちがうところでお付き合いしている合奏団メンバーと教会員の人が同じ部屋で歓談している光景を見て、H氏の心はしばし夢と現実の狭間(はざま)を彷徨する。
●2000年4月29日:
 10周年記念定演の大成功に狂喜し、次々に山下公園から海に飛び込み、太平洋上で喜びを分かち合う。
●2000年7月20日:
 晴れて自由の身になり、フルートを1日8時間練習し音大受験を目指すも、数学しか合格できないことが分かり、敢えなく轟沈する。
●2010年**月:
 20周年記念定演でH氏、70才になるもがんばる。
●2020年**月:
 30周年記念定演でH氏、80才になるもがんばる。ただし、全音符のみの楽譜が特別配布される。
●20**年**月**日:
 H氏、全休止符となり、葬儀で思い出の「甘き死よ来たれ」が厳かに演奏される。

  この文を読んだ著名な音楽評論家X氏から次のようなコメントが寄せられた。

 『この一見諧謔的(一部自虐的)な文の底に脈々と流れるものは、H氏がこの合奏団に身を置いて合奏出来る事への喜びと感謝、そして二人の先生とすばらしい仲間達への敬愛の念である。このような合奏団の存在はまさに奇跡であり、この団体が今後も発展し、音楽を通じて人類に多くの希望と力を与え続けることを期待してやまない。』


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