鎌倉新フルート合奏団:合奏団便りから
  魔笛

魔笛

                      鈴森武雄(1stFlute)

   魔笛については、有名なモーツアルトの歌劇がある。またしばらく前に岸さんの紹介による同じクーラウの歌劇があり、歌劇にはまったく音痴な私も興味を持ってコンサート形式の魔笛を聞かせていただいた。これらの魔笛は正義の味方、水戸黄門のこの印篭が目に入らぬかの世界であるが、本投稿は、文字通りの意味からの魔の笛の話である。
   笛吹きの文章に、森に出かけて笛を吹いたところ、小鳥はその音の素晴らしさに聞き惚れて、身を乗り出して誤って巣からおっこちてきた。そっともとの巣箱に戻してあげたという話が出ていた。またある猟師は、笛を吹いて小鳥を呼び寄せ、鉄砲でドンとやるそうである。では小生のフルートは動物などにどのような行動を起こしたり、影響を及ぼすのであろうか。

   私のフルートの練習場所は家の北側にある倉庫(物置)である。家の中で、聞くに耐えない音を延々とやられて、はた迷惑この上ないという、絶対君主である家人の強いお達しに従ってのことである。この倉庫のまわりには桜の大木が近くにあって、結構小鳥も集まってくる。無粋なわたくしには、すずめ、からす、トンビくらいしかわからないが、しっぽのやたら長いのやら、結構大型の鳥までいろいろ来ている。春先から初夏にかけては、鶯の声がよく聞こえてくる。さっそくその鳴き声にあわせて笛を吹いてみた。しかし鶯は警戒して、慌てて即座にどこかに飛んでいってしまう。

   私の笛の練習中にあえて近寄ってくるものはないが、この倉庫で練習していて、お構いなしにしばらく音を出しているのがあぶらぜみである、北側斜面に樹液の恩恵にあずかれる桜の木が10数本あるので、絶好の環境であるらしい。うるさいことこの上ない蝉時雨である。笛の練習を始めて10分ほどすると、あれほどうるさく泣いていたせみの声が次第に小さくなり、桜の木から次々に墜落していく。練習が終わった後、この倉庫の周りを見るとせみのおびただしい死骸や、危篤中のが近辺にごろごろとしているのである。転がっているせみの状況をつぶさに観察、考察してみた。

   私の妙なる笛の音に聞き惚れて、墜落、安楽死したと解釈したいところだが、このせみの状況が尋常でないことは、その表情や体の動きから判断できる。せみの表情は、この世のものとはおもえない恐ろしい音を聞いて精神錯乱状態となり、頭の中でムカデとゴキブリと蛍イカの寄生虫が脳みそをかき回し、胃と肝臓と大腸で飲み込んだガラスビンが破裂して、もがき苦しんだ上での死、そう悶絶死の状態、及び手足を痙攣させて悶絶・危篤中の状況である。この練習場所近辺の笛の音が届く範囲だけの惨状であるので、我が笛の音のなせる結果としか考えられない。
   今年は特にせみの声がめっきり少なく、静かなことこの上ない。いったいどうしたのであろうか。そういえばせみは地中に7年生活した後、地上で7日間の最後のせみ人生を送るという。たしかこの港南台で笛を吹き始めたのは、四日市から引っ越した7年前である。我が笛は7年前から、魔力を発揮し始めていたのであろうか。
   もう一つの笛の練習場所が、会社の地下2階駐車場の一画にあるシステム部の倉庫である。このビルヂング(由緒正しい古い建物であることを感じます)には三菱系の社長が毎金曜日に集まって、情報交換をする。従ってこの駐車場には、リンカーン、キャデラックをはじめとする黒塗りの高級車がずらりと並んでいる。笛を抱えてこれらの高級車の間をすり抜け、社長たちの視線を無視して倉庫にいったり来たりするのは、多少の気後れを感じないではない。
   システム部の倉庫は鉄の大きい扉で仕切られ、うす暗くて、パソコンや用紙等、所狭しと置いてある。倉庫は駐車場の奥のほうにあることもあって、いくら大きい音を出しても、周りに迷惑をかけることはない。ここを昼休み等格好の練習場所にしている。しかし倉庫まで冷暖房されているわけではないので、夏冬は惨澹たる環境である。この練習場所を使い始めたのは5年前からであるが、口の悪い会社の仲間たちは、「悪魔が来たりて笛を吹く」と私を悪魔にしてしまった。

   この倉庫で笛の練習を始めてから、壁にひび割れが始まった。そこから暗赤褐色のどろっとした生き埋め又は殺害された生物の体液らしきものがにじんで来た。壁のひび割れは、笛を吹く毎に少しずつ増えている。今ではいく筋もの不気味な縦縞模様を形成している(信じられない方には、来ていただければいつでも案内します)。恐ろしくてもうこのへんで、ここでの笛の練習を止めるべきだと真剣に悩んでいる。また私の笛のその魔力のあまり、ビルの壁や柱が恐れおののいて、ひび割れを起こしているので、小さい地震でもおきれば、いやフォルテのフルートの振動でさえ、建物が崩壊して地下2階に閉じ込められそうである。東京駅前のビルが崩壊したというときには、まず地下2階の倉庫へ救助に向かっていただきたい。
   しばらく前の話になるが、四日市で単身赴任生活をしていた。会社の独身寮に入っていたが、独身社員の精神衛生上好ましくないという問題から、会社(事務部長)は管理職のみ独身寮から追い出して、4軒長屋社宅二棟を提供して隔離した。独身寮ではドアに鉛の入った分厚い防音ゴムシート(1メーター当たり5000円)を貼り付けてフルートの音を閉じ込めていたが、古い木造モルタル長屋ではどうしようもなかった。手作りの防音室もどきを作るべく、うるさい隣の事務部長に車を出させて、材料の購入運搬を手伝ってもらった。鉄製のアングルで小屋を作り、前記のゴムシートでおおい、いわば多摩川のJRの橋の下に見かけるホームレスの小屋みたいなものが出来上がった。しかし音は床や隙間からどんどんもれ伝わって、防音効果はまったくなかった。
   以来事務部長と飲む機会があるたびに、この話が出て、「手伝ったのに効果がなかった。今日の飲み代は当然君の負担だ」と、脅されるのである。私は、妙なる笛の音で、お金を払っても聞く価値があるので、飲代はそちらが払うべきである。その証拠に反対側に住んでいる品質部長は、「すばらしい音楽だ」といってくれており、文句の一言もない。また独身寮を追い出して、同じ長屋の隣に住むよう計画したのは、もとはといえば事務部長の君のせいであるといって、際限ない議論が続いている。両者東京に転勤になった今でもこの議論が続いて決着しない。決着がつかない以上飲み代は割り勘である。前記のように、私を悪魔にしてしまったのは、この部長である。
以上魔笛に取り付かれた私の練習場所について紹介させていただいた。

追記(合奏団便りに掲載後)

   当合奏団副団長から、せみは本当に墜落・悶絶死するのかとの質問があった。うそ偽りない事実であると答えたところ、自宅のゴキブリ退治の依頼を受けた。両者同じ茶褐色、大きさも似たような昆虫であるので、魔笛の威力は十分にあるはずである。近く笛を持参してゴキブリを追かけ回すことになった。
   わが高尚な銀の笛はゴキブリホイホイ、キンチョールエアースプレーに成り下がった。
   嘆かわしいことである。

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