鎌倉新フルート合奏団:合奏団便りから
  インターネットとパソコン、カメラの革命

インターネットとパソコン、カメラの革命

                      栗林 道夫(Alto Flute)

インターネットとパソコン

   明けましておめでとうございます。今年は合奏団が設立されて10周年を迎えますが、折しも2千年という節目の時でもあります。「世紀末」とか「世も末」などと言われますが、終わりのことばかり考えるのではなく、新しい時代が始まる幕開けのことも考えてみることにしましょう。今回はパソコンの話題から始めることにしましょう。

   家庭へのパソコン普及率が30%に近づいていると言われる。パソコン普及の原動力になっているのはインターネットで、アメリカでは40%に近い世帯がこれを利用している。

   日本国内のインターネット利用者は未だ11%で、本格的な普及はこれからだ。当合奏団も、最近このインターネットの恩恵に浴すようになってきた。

   12月12日(日)、藤沢北教会でクリスマスコンサートが催され、翌日から団員の間で余韻醒めやらぬ感想がメールで交わされた。

   12月13日(月)、平野さんの奥様が教会に行くと、大勢の人から口々に絶賛された。    12月15日(水)、この内容が平野さんからEメールで団のメンバーに送られ、私も礼状を送った。教会からも合奏団にお礼状が出されるなどメールが効率的に利用された。

   当団の運営委員会も最近このメールにより随分効率化された。当団の重要メンバーになっている塩澤氏もインターネットのホームページで当合奏団を知った訳であり、インターネットは身近なものになってきた。

   インターネットの利用にはパソコンを使うのが常識だった。最近のデジタル式携帯電話には、パソコンの頭脳であるCPUに相当するものが使われている。日本では携帯電話の普及率がアメリカを追い越しており、機能的にもパソコンを代替するまでに進んでいる。パソコンよりも携帯電話によるインターネット利用が急増する可能性があり、既にNTTドコモなど各社がこのサービスを始めた。

   高性能CPUを内蔵しているものにカーナビがある。道路の渋滞が深刻な日本ではこれを回避するカーナビの技術が世界一進んでいる。日本が世界に誇るゲーム機にも高性能なCPUが使われている。CPUの開発には世界がしのぎをけずっており、今世界中が注目しているのがデジタルテレビである。本格的なデジタルテレビが登場すると、その性能は現在のパソコンをしのぐとさえ言われる。家電王国日本がその覇者になる可能性があり、そうなると日本では外出の時は携帯電話、車の中ではカーナビ、会社ではパソコン、家ではデジタルテレビといった使い分けが起きそうだ。

   20世紀、日本は戦争で米国に負け、パソコン用CPUでは米インテル社、基本ソフトでは米マイクロソフト社に負けた。21世紀、もしかしたら日本の技術に世界が驚くことになるかもしれない。かつて日露戦争では、予想に反して大国ロシアに勝った小国日本に世界が驚いた。新しい時代の幕開けを待つ今年、新たな楽しみが期待される。

カメラの革命

   戦前の日本人がまず欲しがったものは高級カメラで、当時は高値の華であった。現在のキャノンカメラの創業者達は高級35ミリカメラの国産化という理想を目指し、ゼロからスタートした。目指すは世界的名器ライカ、コンタックス。広告のキャッチフレーズは、「潜水艦は伊号、飛行機は92式、カメラはKWANNON、皆世界一」であった。

   戦後、再びゼロからスタートした日本はカメラ王国への道を突き進んだ。人類が初めて月面を踏んだ時、宇宙船アポロの飛行士が持っていたカメラは日本製のミノルタであった。

   ベストセラーとなった「マジソン群の橋」の主人公、ロバート・キンケードが使っていたカメラは日本製のニコンであった。日本を復興へ導いた主役はその後、家電や自動車に道を譲るが、日本のカメラは改良の努力が続けられ、世界をリードしてきた。

   そして遂にこれ以上の改良余地がないほどの成熟商品になった。そのカメラに革命が起きた。これを説明するには、去年の出来事を説明するのが早い。

   去年の夏、女神湖で合宿があった。合奏団からは吉崎、高橋、近藤、松居、栗林などの面々が参加した。楽しい3日間、平塚シリンクスの水島女史が「後で送るから」と言いながらスナップ撮影をしていた。お互いに遠く離れている大勢の者同士なのであまり当てにしていなかったが、合宿が終わった翌日、Eメールで写真が送られて来た。実に鮮明なカラー画像である。これは写真の革命である。

   銀塩を感光材とする伝統的な写真は古くから我々に親しまれ、この原理は150年このかた変わっていない。幕末に来航したペリーも、日本の武士と共に浦賀でこの銀塩写真に収まっている。これを電子的に記録するカメラは十数年前に一度発売された。フィルムに代わり磁気ディスクに記録するようにしたもので、気に入らなければ何回でも消して撮り直しができるようになった。しかし、これはあまり売れなかった。電子化されたとはいえ、アナログ式であったからだ。

   これをデジタル化した、いわゆるデジカメの登場で状況が一変した。マルチメディアへの道が開けており、一躍ブームとなった。最初にこのブームに火をつけたのはカシオだ。数十万画素の低価格機で一気にシェアを伸ばした。オリンパスやフジ写真フィルムなどがこれを黙って見ている筈がない。130万画素という高画質機で対抗し、さらなる高画質化を目指して写真業界/家電業界入り乱れての技術開発競争に突入した。

   デジカメで撮った写真は通信回線でこれを送ることができる。携帯電話やPHSを使ば、これに携帯情報端末を組み合わせて山の上や船の上からでも写真を送ることができる。

   カメラの歴史は小型化による携帯性向上の歴史であった。デジカメの出現はカメラ単体だけでなく「写真の撮影からその利用まで」を含めて、全部をモバイル化してしまった。

   最初これに気がついたのはパソコンでは後発のソニーで、デジカメとノートパソコンを一体化させて「VAIO」シリーズとして売り出した。これが爆発的な人気を呼んで成功した。パソコンの大手、NECや富士通などは最後までこれに気がつかなかった。

「合奏団便りから」へ戻る

Copyright(c)2007 鎌倉新フルート合奏団 。 All rights reserved. Base template byWEB MAGIC.